吉川英治の新書太閤記11冊を読み終えたので備忘録です。大宮の現状(転じてなかなか思い通りにならない自身の苦境)と重ねて、生きる上で胸に刻んでおきたい言葉をまとめてみました。
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もう最後と思える窮極から転機することがある
新書太閤記 02巻より。桶狭間の戦いを前にして、織田信長が大軍今川勢が寄せてくるシーンの言葉。
まさに覚悟完了の瞬間。大宮で言えば、絶対勝利できないという多数の予想を覆した先日のさいたまダービーを思い出させる。どんなに苦境を強いられたとしても、あきらめてはいけないものだし窮地に追い込まれたときこそ、人は力を発揮できるものなのだろう。
以前の成績に固執するな
新書太閤記 04巻より。信長に京を追われることになる室町幕府第15代将軍、足利義昭。藤吉郎(豊臣秀吉)はそんな彼を未練に世の推移を見違えていたと指摘する。
クラブ史上5位で終えた昨シーズンの成績は、今シーズンには関係ない。大宮が成長したように、他のチームも成長しているのだ。世の中は、いまこうしている間に動いている。家長と泉澤。両翼を失ったという事実を、私たちは忘れなければならない。
苦境を、楽しめ
新書太閤記 08巻より。秀吉と寧々との会話から。苦難や苦境を、面白いと思える器量が持てるかそうでないかで、人生の深みが違ってくる。幸せは与えられるものではなく、感じるものなのかもしれない。
大宮が負けること、人生がうまくいかないこと、どれも苦して息が詰まる。しかし、そうした状況を楽しむことができたら、大宮の勝利や日常の出来事がドラマチックに変わるはずだ。苦境に背を向けるのは、子どもにだってできる。

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人生の至楽は、苦しみと苦しみの間にある
新書太閤記 09巻から。これも先と同じ意味合いの言葉。今シーズンのトンネルは想像より長くなるかもしれない。でも、逆境は乗り越えた後にこそ、本物の喜びが待っているはずだ。残留するまで、諦めは禁物だ。
最悪の試合でも学ぶべきところを見出せ
新書太閤記 10巻より。彼とは秀吉を指す。我以外、我師也だ。どんなに悪い試合であっても、自分にとっては学ぶべきことが必ずある。大宮が負けると機嫌が悪くなってしまう。
つまらないことがあると、不平不満を言いたくなってしまう。だが、それを言ったところで何も好転しない。むしろさらに気分が悪くなるだけだ。大宮の選手や監督と同じように、自分も必死で物事に取り組んでいるだろうかと考えると反省させられる。
敗戦やミスは決して無意味ではない
新書太閤記 11巻より。サッカーにミスはつきものだ。人生もまたしかり。失敗を反省し、素直に修正していく心構えがなければ人は成長しない。失敗は天の恩寵。いい言葉だなぁ。失敗する自分を責めず、失敗を反省しない自分を改めてるようにしたい。

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苦難を恐れるな。その先に勝利の凱歌が待っている
上田の合戦で真田昌幸に敗れ、片腕である石川数正に謀反され、耐えて耐えて耐え忍ぶ将軍、家康の胸の内を描写したシーン。負けて、負けて、また負けて。点を取れば取り返され、オウンゴールでさらに自滅。あきれられ、とがめられ、非難される。
一方、自身はどうか。会社に振り回され、思うようにいかないことばかり。正しいと思えることを成し遂げても、だれも拍手喝采など受けることはない。まるでサッカーの主審のようだ。
すべてを投げ出すのはカンタンだが、安易に投げ出せば何も残らない。苦難に恐れるな。人生の凱歌は、乗り越えた者にだけに与えられる。
まとめ
精神苦行がスポーツ観戦になるって、やはりあってはいけないことですが、少なくとも人生には苦境を乗り越えるだけの勇気と器量を持つことが大切なのかもしれませんね。
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