たとえば、サッカー選手のようなプロフェショナルな人たちは、調子の善し悪しは許されない。いかに一定のクオリティを保てるか。ここがプロとアマの違いがあるんじゃないだろうか。
とはいえ、人間誰しも調子の善し悪しはある。
今日はやる気にならない。朝から体が重い。笑えない…などなど。本当は心のなかで思うこともあるかもしれない。もちろん彼らは弱音を吐かないかもしれないが、プロ以前にみな人間なのだ。
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一般人だってプロフェッショナル
そもそもプロっていう括りそのものは、いわゆるスポーツ選手や芸能人みたいに「あからさま」なだけであって、俺たち一般人にだってプロフェッショナル精神は存在している。
主婦だってその道のプロだし、サラリーマンだってその道のプロだ。
ま、主婦に限っては「金をもらってやってる」わけじゃないけれど、毎日早起きして、子ども弁当作って、洗濯して、それを干して、アイロンがけして…ってな具合に、その都度、考えて、最良かつ効率的な仕事をこなしている。
金はもらってないけれど、その道のプロであることは間違いない。
無償なのだから、主婦はものすごい職業である。もっと崇拝されてもおかしくない。けれど、みな当たり前だと思っているから、単に「主婦」というカテゴリーにくくられてしまっている。
もしかしたらこの記事を呼んでいるあなた。本当にご苦労様ですよ。週末の試合を生きがいとしているなら、それはそれでそういう息抜きも必要であるはずだ。

wilhei / Pixabay
みな必死に生きている
さて、ここで我が身を振り返ろう。
30年以上の住宅ローンを抱えるオッサンの我が身は、はっきり言って社畜に近い。学生が見たら笑うかもしれない。会社の経営者に振り回され、自分を殺し、無理やり笑顔を作る毎日を。もちろん、そこには金が発生するから、会社にしがみつくオッサンを失笑する若者もいるだろう。
それは、家庭を守るためである。バカ息子がのんきに夏休みを満喫できているのは、そんなオッサンの忍耐から成り立っているのかもしれない。
学生だって、それなりに大変だ。たとえば部活で昼間絞られて、ぐったりしながら帰宅すると親に「勉強しなさい!」と怒鳴られたり、スマホでゲームしていると「ダラダラしてる」と非難されたり。バイト先では良い感じにエラ呼吸している古株の先輩に、顎でこき使われたり。
いつかぶん殴ってやる…って心に誓っているかもしれないが、そうそうぶん殴ってやる機会に恵まれるわけでもなく、たまに優しくされると「あぁ〜案外良いところもあるじゃんか」と殴ってやる衝動が吹っ飛んだり。
まぁ、言いたいことが整理されないまま、書き綴ってしまっているけれど、とにかく言いたいことは一つだ。
プロだろうと一般人だろうと、必死に生きていない奴なんかいないんじゃないかってことだ。みな自分の人生と真っ向から向き合って、戦っているんだと思う。

WikiImages / Pixabay
アルディージャの選手たちは、ダービーを目の前にして「金もらってるんだよね」って、伊藤監督から雷を落とされたみたいだけれど、必死なのは彼らだけじゃない。
みんな毎日、なんとか生きていて、必死にもがいている。
他人の人生と一緒にダンスをしているだけ

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そんな、何とか生きている主婦、サラリーマン、学生たち。週末に訪れる束の間の楽しみのために、平日の苦難の乗り越えている。
それを、さも分かったような口の利き方で、国民の税金でロクすっぽ仕事もせず当たり屋のような生活をしているどっかのバカ議員に「他人の人生に乗っかってんじゃねーよ」なんて下品の中でも下品極まりない最低の悪口を吐かれる筋合いはまったくない。
気持ち悪いから思い出すのも吐き気すらしてしまうが、いまさらながらコレだけは言っておきたい。
サポーターは、決して、他人の人生に乗っかっているんじゃない。精神的にもギリギリのところで戦っている選手に、自分の人生を重ね、毎試合、勇気をもらっているんだ。
もっと簡単に言うなら、選手たちと自分の人生を重ねているだけだ。一緒に人生を踊ることを楽しめる人。それが真のサポーターじゃないだろうか。
一人でダンスするなんて、腹踊りと一緒でつまらないじゃないか。そう思わないか?よぉ、そこの議員さんよ。