ダービー男といえば、現ボタフォゴで活躍するラファエル…。

と言いたいところですが、あの男を忘れてはいけません。
そう、ドリブルジャンキー、FW桜井直人です。
さいたまダービー史上、彼なくして語れるわけがありません。
桜井直人。浦和三室SS少年団芝原少年団、三室中サッカー部、大宮東高校などを経て、浦和レッズに入団。
94年〜99年まで浦和に在籍するもののチームからは完全に干されており、不遇な選手時代を過ごす。その後、ヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)移籍後、彼の持ち味であるドリブルを武器に才能を開花。そして、2005年に地元大宮へ移籍するという経歴の持ち主です。
そんな桜井直人。サテライト暮らしを余儀なくされた浦和時代の悔しさがあったのでしょう。浦和に対する思い、そして、さいたまダービーに臨むその姿は、まさにリベンジャーそのものでした。
2005年7月9日(土)J1第15節。大宮がJ1の舞台で初めて挑むさいたまダービー。レッズファンが埼玉スタジアムを埋め尽くす完全アウェイゲームでした。
18分。激しい雨が降る中、トゥットのコーナーキックをボランチのトニーニョのヘッドで先制。すると、22分。桜井直人が3人に囲まれながら、左足一閃。試合を決定付ける2点目を叩き込みます。
↑動画0′46″で桜井直人のゴールシーンを見ることができます。
その後、前半ロスタイム(公式記録は44分)には、DF闘莉王の頭で1点返されますが、1-2で試合終了。この日、大宮は記念すべきJ1さいたまダービー初勝利をあげます。さいたまダービーは、2000年9月16日、J2時代に初勝利しています。
しかし、J1という舞台でさいたまダービーを制するというのは、大宮サポーターにとって歴史的瞬間であったはずです。
試合終了後、FW桜井直人は、さいたまダービー史のなかでも名言中の名言を口にしています。
今日はサポーターに
浦和の中心を堂々と歩いてもらいたい。勝った方が強いですから。
出典元:j’s goal
いやぁ〜、こんな気の利いたコメントを言ってくれる選手はそういません。
まるで、プロレスのマイクパフォーマンスです。
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当時の大宮といえば、浦和よりも選手層が薄く、誰が見ても浦和が格上。
しかし、そんな逆境を物ともせず、浦和には絶対に負けたくないと、
闘士を剥き出しにして戦うのが桜井直人の魅力でもありました。
今までにない闘争心で戦った。
この試合になると
特別な力が出るんだ
さいたまダービー史上、いや、大宮史上、大きな功績を残した素晴らしい選手の一人だったのは間違いありません。
ちなみに、2008年に大宮から戦力外通告を受け、現役を引退。その後は、大宮U-12コーチ、2010年浦和レッズのハートフルクラブコーチを就任。
現在は、フリーでサッカークリニックなどを行っているようです。
参考:アスリートエージェンシー
また、元大宮の佐伯直哉ブログによると、桜井直人とサッカー教室を行った模様が報告されています。
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