大宮サポーターを歓喜させた橋本早十のプレイを振り返る。

橋本早十大宮アルディージャ

橋本早十。大宮のJ2時代を知る数少ない貴重な選手。在籍10年。大宮一筋だった彼が、いなくなってしまうのは、古くからのサポーターならずとも寂しさがこみ上げてきますよね。

ここ数年は故障などもあり、出場機会を失っていた早十。自分には厳しく練習の虫であっただけに、契約満了という現実をつきつけられた彼の気持ちを想うと、悔しさで一杯なのかもしれません。

しかし、優しいその人柄は、ホーム最終戦で盛大な拍手で称えられたように大宮のサポーターから本当に愛されていました。

スポンサーリンク

橋本早十というプレイヤーを振り返る

駒澤大学在学中の2003年、特別指定選手として大宮アルディージャに登録。翌2004年、大宮に加入した。怪我などで出場が少ないシーズンを送っていたが、2009年シーズンには中盤の左サイドからボランチへコンバートされ、スタメンの座を不動のものにした。大宮の数少ない生え抜きの選手の一人。2011年シーズンから、選手会長に就任した。 出典元:Wikipedia

駒大時代、元日本代表の巻誠一郎がチームメイトでした(1学年上の先輩)。その後、2005年ジーコジャパンに招集された巻の活躍には相当刺激をもらっていたことでしょう。ベンチ組としてくすぶっていた後、2009年になるとようやく本領を発揮し始めます。
※駒沢大学時代のチームメイトには、深井正樹、中後雅喜、小林亮(兄は小林慶行)などが在籍していました。当時の資料は、駒澤大学新聞編集部ページから確認できます。

独創的なアイディア、足元の技術、そして、正確無比なキックを繰り出す貴重な左足。何度も何度も大宮を救ってくれました。

正確無比、精密な左足が早十の魅力

早十の魅力は、何と言っても正確無比な左足。ゴールよりもアシストのほうが印象的であったりします。事実、大宮に在籍した元クロアチア代表のマトも橋本早十の正確なキックを絶賛していましたよね。

大宮にはMFに橋本早十といういいキッカーがいるので、彼のボールに合わせて得点するというのが一つのパターンになってきています。
出典元:KFA

スポンサーリンク

サポーターの記憶に残るベストプレー

2006々 J1第33節 C大阪戦

本人がまず挙げていたののが、プロ入り初ゴールが印象に残っているようです。2ゴールの大当たり。当然です。

「10年間は長いようで、あっという間でした。多くの人と友達になり、サポーターで仲良くなった人もいます。それは長くいたからこそ。みなさんに感謝しています、最高の10年間でした」と語った。一番の思い出は「プロ入り初ゴールです! 埼スタでのC大阪戦でした」と懐かしそうに話した。
出典元:blogola

[browser-shot width=”500″ url=”https://www.jsgoal.jp/photo/00019100/00019142.html”]

この試合のレポはこちら。

2010年J1第1節 セレッソ大阪戦

この年、シーズンオフ中に右大腿骨骨肉腫により戦列を離れざるを得なかった塚本泰史へ捧げるゴールを記録します。

コーナーキックを直接ゴール。狙ったのかどうかは不明ですが、精度の高い左足からのゴールは彼らしいプレーのひとつです。

2011年 J1第29節 浦和戦

2011年10月15日(土)に行われたさいたまダービー。J1リーグ戦第29節でした。この年、金久保や同じレフティーの上田康太の台頭により出場機会を失っていましたが、久々にスタメン出場。

大宮に早十健在!と言わんばかりに、ダービーという最高の舞台で大活躍してくれました。

0-0でこのまま引き分けるかと思った84分。精密機械のように放たれた左足のクロス。センターでフリーになっていたラファエルは合わせるだけ。あの起死回生の高精度クロスは、いまだ大宮サポーターの脳裏に焼き付いているはずです。

84分、橋本早十が左サイドを抜け出す。正確さをもって知られるその左足から放たれたボールが、中央で待つラファエルの頭へ、吸い寄せられるように美しい軌道を描く。まるで時が止まったかのように、浦和のディフェンダーもGKも完全にボールウオッチャーになっており、リーグ戦ダービーで4試合5得点の『浦和キラー』は、軽く合わせるだけで良かった。この一瞬が、浦和の命取りとなった。
出典元:J’s Goal

2013年で大宮を去ってしまう橋本早十。しかし、私達の記憶にはずっと、ずっと残されていくはずです。

まだ、あと1試合。最後にうひとつ心に残るプレーを期待しています。

頑張れ、橋本早十!大宮のピッチでまた会いましょう。またね。
DSC_3079