「村上海賊の娘」から「脱 残留争いの法則」を見出す

村上海賊の娘大宮アルディージャ

今シーズン、Jリーグ前半がひと区切りしました。

しかし気がつけば降格圏の17位と低迷する大宮は、今年も苦戦が強いられそうです。

いつになったら下位争いから脱することができるのでしょうか?根本的原因はどこにあるのでしょうか?

先日、2014年本屋大賞を受賞した和田竜の「村上海賊の娘」を読みました。歴史小説「村上海賊の娘」には、そんな大宮の状況を脱するためのヒントがたくさんありました。そのうち、印象に残ったことを紹介します。
村上海賊の娘

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タイトルの夢が叶わないなら、サポーターはどう応援するべきか?

泉州侍の主、七五三兵衛(しめひょうえ)が主人公である村上海賊の姫、景(きょう)に対して「嫁に来い」と口説くシーン。

絶対かなわない望みだってあるぞ。どうすんだ。

と景が断ります。

知れちゃら。叶わんまま死ぬだけじょ。せやけど踏ん張った自分(わが)ちゅうもんだけは残る。へこたれたらあかん。

タイトル

「大宮がタイトルを獲るなんて、叶わない夢かもしれないぞ。どうすんだ。」
「決まってるだろ。叶わないまま死ぬだけだ。だけど応援していた自分は残る。諦めたらダメだ。」

諦めたらダメ。これぞ、勝者のメンタリティ。どうせ今年も…と思ってしまっている私の思考回路こそ、大いに反省すべきことでした。

「男は諦めが悪い」生き物であるならば、大宮を応援した自分がいたことに価値を見出すことはできる。なんて健気でピュアな考え方なのでしょう。これぞ武士道です。負けても、情けなくても、大宮を鼓舞して応援し続けるだけ。サポーターにはそれしかできない。それでも諦めたらダメ。

スタジアムに掲示される「覚悟完了」って、つまりそういうことなんだとわかりました。
photo credit: Lakbay 7107 via photopin cc

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強者は、いつだって組織優先で戦うことができる

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photo credit: yosh18 via photopin cc

主は常に目下の者の事情など一切、頓着せずに命じてくる。そして一方的に命じられた家臣はかえって息を吹き返すことがある。

仕事もそう。上司はいつも自分勝手。無理難題を押し付けてきます。でも、そうじゃなければ組織が成り立たないことがよくあります。組織の利益を優先させて行動できるのか、自分の足元だけを見て行動するのか。

小説の中でも、強者はいつだって組織を優先させて戦っている気がします。もう終わったことですが、去年のベルデニック騒動を思い出してしまいました。大熊監督と選手たちがひとつになれることを願うばかりです。

ちなみにこの「村上海賊の娘」。次から次へと矢継ぎ早に繰り広げられる予想外の展開に、一度読み始めると止まらなくなる面白さがあり、病みつきになります。

以前は、史実に基づいた歴史小説なんぞ興味なしと、思っていましたが、和田竜の作品は歴史上の人物をまるで現代の人間ドラマを見ているかのように表現するので親近感が湧きます。今も昔も、人間は変わらないんですね。